自分を観察する力

自分と異なる人と意思疎通をはかる時、多くの人は


「自分は普通」とした上で、その自分の中の普通という物差しに対して、相手がどの距離にいる人かをはかろうとします。


数学好きな人なら理解しやすいと思いますが、数直線でいう”0”を自分だと思いたがるのです。

この時、実際に0の概念と自分が近い存在かを仮説検証していることはほとんどありません。


にもかかわらず、自分は全ての基準となる0だと思い込み、そこから相手をみようとすること、これこそが自分と異なる人との意思疎通で生まれる障害の本質です。


もしもあなたが(x,y)=(15,20)にいたとして、相手が(x,y)=(0,0)だとしたら?


ちょっと恥ずかしいことが起こりますね〜


あなたは本当に(x,y)=(0,0)地点にいますか?


あるいは、


あなたは(x,y)=(15,20)にいたとして、相手が例えば(x,y)=(0,0)にいたり、(x,y)=(-10,5)にいたりする時、あなたから相手はどう見えるのかを考えたことはありますか?

(→自分を定点とする場合


あるいは、


相手は変わらず(x,y)=(0,0)や(x,y)=(-10,5)にいるけど、あなたの位置が(x,y)=(15,20)から(x,y)=(10,5)や(x,y)=(0,0)に変化した時、相手の見え方がどう変わるかを考えたことはありますか?

(→相手を定点とする場合)


これがいわゆる”人の認知の世界”の探索なのですが、あなたはあなたの目の前にある物質や事実をもとに、あなたの脳の処理スキームによって導き出されたアウトプットを”事実として”理解しているだけなので、あなたの脳の処理スキームに何かしらのバグや障害があれば、アウトプットである”事実をどう理解したか”の部分に誤りが生まれることは当たり前のことなんです。


これを他人との意思疎通のケースに当てはめると、事実を作り出す人物は2人以上いることになります。(2人以上いないと意思疎通ははかれないからです。)

複雑になると理解しにくいので、ここではAさんとBさんの2人に限定します。


人が2人ということは脳みそも2つですので、つまり事実の処理をするスキームもAさんとBさんの2つあるといえます。


この時に例えば2人がすれ違ったとしたら、原因はAさんの持つAスキームのバグかBさんの持つBスキームのバグが、あるいは両方とも同じようなバグを抱えているかの3通りの可能性が考えられるのです。


にもかかわらず、この時に自分は自分の脳のスキームを省みることなく、相手のスキームの問題だと言い張るから関係自体にヒビを入れてしまうんです。


もしもこの事実を理解していれば、ただ脳スキームのバグを修正すればいいだけの話だったのに、人間関係まで壊してしまう、こんな悲しい自体が起こってしまうんです。


これってとってももったいないなと、様々な現場や人間関係をみていて思います。


人に敵意を向ける前に、まずは自分をよく観察してみてください。


相手を正確にはかれるのは、自分が(x,y)=(0,0)の地点にいる時だけです。


相手をはかる前に、自分が今どこにいるのか、よく観察してみてください。


そして自分を(x,y)=(0,0)の状態に移動させ維持することに集中してみてください。


全く違う景色と人間関係に囲まれるはずですよ。


▼▼▼▼私が大学のの勉強で使った参考書です▼▼▼▼

▼▼▼▼読んだことはないけど気になっている本▼▼▼▼

▼▼▼▼全然違う角度から💡▼▼▼▼

この物語に出てくるカカシが、この脳スキームを人工的に作ったAI技術をSFチックに描写しているところが面白いからおすすめの本。

本当かどうかは伊坂さん本人しか知らないけど、きっと認知心理やAIの分野の情報から生み出されたキャラクターではと私は推察しており、オーデュボンの祈りの初版は2000年と今から20年も前ですから、「やっぱり作家さんの情報収集力と収集した情報を何かしらの形にまとめてアウトプットする力すごい〜」と脱帽させられた一冊です。

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